互尊翁 野本恭八郎は、幕末から明治に生きた人物でした。
明治維新後、近代日本化のひずみは人の価値観までもゆがめ、いたるところに格差が拡がっていました。
そのような時代に「互尊独尊」の思想を提唱し、図書館が市民の人間形成に大きな役割を果たすと確信し私財を投げ売って「互尊文庫」を作りました。
また、男尊女卑が当たり前の時代に、妻を大切にしたことでも知られます。今に残る「誓文」は妻への誓いの内容です。
家庭連合が進めている「真の家庭づくり運動」のまさに先駆けとも言えるでしょう。
毎年、8月2日と3日に行われる長岡大花火大会は、1945年8月1日長岡空襲で亡くなった多くの方の御霊を慰霊する花火として、また2004年中越地震の翌年からは「慰霊と復興」の花火大会として開催されています。長岡花火大会の特徴は、一尺玉10号と呼ばれる大きな花火がたくさん打ち上がることです。また特に有名なのは「復興祈願花火フェニックス」と「三尺玉」です。
新潟県といえば「お米」です。中でも中越地方は全国的に有名な魚沼産コシヒカリがあります。コシヒカリもいろいろありますが、新潟県産はひと味違います。
立正佼成会の開祖である庭野日敬氏は現在の十日町市、創価学会の前身である創価教育学会の創立者の一人である牧口常三郎氏は現在の柏崎市でそれぞれ誕生しました。日本を代表する宗教界の創始者がこの地から誕生したということは驚くべきことです。
山本五十六は、日米開戦を最後まで反対した人物と言われています。井の中のカワズで日本が世界一だと思っていた当時の軍人の中で、世界情勢と日本の実力を認識していた数少ない軍人でした。日本の進路に関し明晰な意見を持ち、陸軍や右翼の暗殺の脅迫に負けずそれを堂々と表明しました。
第26、27代連合艦隊司令長官を務め、1943年視察で訪れたブーゲンビル島上空で戦死。
長岡市内に、山本五十六記念館、山本五十六公園があり、今でも多くの方が見学に訪れています。
小林虎三郎は、戊辰戦争後の長岡藩大参事を務めた人物です。
戦争によって長岡は廃墟となりましたが、小林虎三郎の掲げた「教育こそ人材を育て、国やまちの繁栄の基となる」という教育第一の思想が、お見舞いとして贈られた米百俵を学校に替え、そこから山本五十六をはじめ多くの有為な人物を輩出しました。
目先の利益にとらわれることなく、ずっと先を見据えていた小林虎三郎の姿勢が、米百俵を何万倍もの価値にしたのです。
小林虎三郎の考えは、今も長岡に根付いています。まさに、米百俵で長岡の未来を創った人物と言えます。
小泉元首相の所信表明演説でも取り上げられ、全国的に有名になりました。